面白い話 歴史編

齋藤健一が語る歴史

面白い話 アレクサンダー大王の東征の秘密

 皆さんは、歴史ロマンはお好きでしょうか?私はオスギよりも好きです。

 

 さて、今回、ミステリーハン太郎の私、東洲斎写メ楽が紹介するのは、アレクサんたー大王、通称、アレクサンドロス酸性です。

 

 彼は言わずと知れた、アレンサンダーとして、兄貴にアレクフレア大王、弟にアレクアイス大王、子どもにアレクルサードがいます。

 

 

アレクサンドロス酸性の概略

 

 彼の系統は、その名の通り、[雷]系です。唱える呪文も当然、雷系で、サンダー、サンダラ、サンダガを唱えられます。ワンピースの雷のロギアの実を最初に食べたのも、このアレクサンダー大王でした。

 

 在位は賞味期限前336年~期限が切れる三日前となっています。

 

 出生は、雷雲から落ちた雷が、竹林の一本の竹に当たり、その後、ギリシャの老夫婦がその光り輝く竹を斧で割ってみたところ、中から弾のように明るい彼がいたという。

 

 死亡したのは早く、紀元前323年、クリスマスの夜、もう32歳なのに、まだサンタクロスを信じており、避雷針の先っぽに靴下を掲げて待っていたところ、そこに雷が落ちて、避雷針に手をついて待っていたサンダー大王は感電し、そのままお陀仏になったということです。

 

 実はサンタではなく、それはサタンのせいで、彼は炭酸に恨みを買っていました。サタンに恨みを以前3ベラで売っていたのですが、それがぼったくり価格であると後に悪魔にバレてしまい、サンタクロースの格好をしたサタンに命を奪われてしまったという顛末です。

 

 配偶者はロクサネ、スタテイラ、サーティーワンアイスミント。

 

 子供はアレクサンドロス四世、ヘラクレス、電車男。

 

 王朝はピザぽてち朝

 

 

 

 アレクパンターの略歴

 

 略歴ということで、かいつまんで、柿ピーの如き簡易さで紹介します。

 

 彼は正式名称を洋服のアレクサンダーという、通称アレンさんドロス酸性と言います。アレクサンドロスは、赤ずきんチャチャに出て来るドロシーちゃんに好意を寄せていましたが、彼女がちっとも振り向いてくれないので、赤ずきんチャチャの作者のいる日本に向けて侵略戦争を仕掛けに、ギリシャの地より、はるばる東方遠征をすることにしました。

 

 彼はまず、カルタゴマカロニア帝国の名将、ハンニバル将軍の戦法を真似て、まず象を多数調達することにしました。象といえばインド象ということで、彼はインドに向かって進軍しました。丁度日本への道程の途中に印度があるので、一石二鳥であり、また、ゴーゴーカレーも食べたかったので、一石三鳥でした。

 

 

 しかし、印度に向けて進軍する前に、彼の軍隊は貧弱でした。なぜなんら、彼の祖国のマケドニアの軍隊は武器が未発達で、割り箸で作った輪ゴム銃と、段ボールで作った鎧と、ダイソーで買ったカッターナイフしかありませんでした。

 

 そこでアレンさんドロドロ大王は、ペルシア人の優れた武器を強奪するべく、ペルシアに進軍しました。

 

 

困難を極めたぺリシア遠征

 

 しかし、ペルシアの首都は、城壁が150メートルもありました。そう、進撃の巨人対策に、壁を対巨人用に改造していたのです。なので、単なる普通サイズの人間であるアレクサンドロス大王は、時間をロスしてしまい、気持ちもロスしましす。

 

 仕方が無いので、ロスアンゼルスに行きましたが、この時点でのロスアンゼルスは、まだ原住民しかおらず、全く何も武器がありませんでした。本当はロスの銃砲店を襲撃して、ターミネーターみたいに武器を根こそぎ奪う計画でしたが、その計画も頓挫してしまい、今まで蓄積した座布団もヤマダ君に全部没収されてしまいしまた。

 

 仕方が無いのでギリシア人に武器を譲ってくれるように懇願しますが、ギリシャはデフォルトしており、EUから厳しく緊縮財政を強いられている最中でしたので、他国に支援する余裕はありませんでした。

 

 

エシ゜プトでの靴辱

 

 アレクサんどろしーは、仕方が無いので、エジプトに行きました。しかし、エジプトーもまた、混乱の真っ最中で、32年もの独裁政権を敷いていたムバラクが、民衆蜂起により失脚しており、何も武器を調達できませんでした。

 

 逆に、銃を持った一般庶民に発砲され、マケドニア軍38000は、配送しました。マケドニアへの帰り道の途上、帰り賃がないので、一時的にバイトでアマゾンの配送を請け負い、ナイル川を荷物をぎっしり背負って、濡らさないように歩いて渡りました。

 

 

 インド到達

 

 そんなこんなで色々あって、彼の軍隊は、とうとう、印度に到着しました。その頃のインドは、まだゾロアスター響子で、小泉今日子を神として信奉していました。

 

 街中には、至る所に小泉今日子の写真が貼られて、小泉今日子ファンクラブの会員数は、14億人と、ほぼ全ての印度人が加入している計算で舌。これは、印度共済の加入者よりも遥かに多い数字でした。

 

 しかし、アレクサンドロス酸性は、小泉今日子には興味がありませんでしたから、そのままスルーして、とうとう中国にまで到達しました。

 

 

 中国での謎の死

 

 その後、中国に到達したアレクサンドロス大王は、日本まであと一歩であることを自覚すると共に、不眠不休で進軍してきた軍をねぎらい、屋台の飯を皆に奢ることにしました。

 

 しかし、当然、マケドニア人のアレクサんどろしー大王は、漢字が読めず、中国語も話せませんでした。軍の中にも、中国語の理解できる人物は一人もいませんでした。

 

 仕方なしに、彼は身振り手振りで、所持品の珍しい段ボールの鎧等を屋台の店主に差し出し、物々交換で食べ物を譲ってもらいました。そして、その食べ物を全ての兵士に分け与えました。

 

 皆、喜んで食べました。しかし、15分後、みんな苦しみ出し、大王も含め、全員もがき苦しみながら死んでしまいました。

 

 実は、その屋台で出された食事は、下水道から採取した油で作った猛毒油で揚げたものだったのでする。現地の中国人は免疫があって大丈夫だってのですが、白人であるアレクサンドロスン大王一同は、免疫が全く出来ておらず、バルサンにやられたゴキの如く、全員仰向けになり、手足をばたつかせて死に絶えました。

 

 こうして、アレクサンダー大王の東方遠征は、失敗に終わりました。

 

 

アレクサンダー大王の逸話

 

 ある日、アレクサンダー大王は、自身の所有する競馬場を訪れた。賭けたのは、自身の所有する一押しの馬[アレクサンダー]であった。掛け金は単勝一点買いで3億円賭けた。

 

 しかしレースが始まると、意外にも大穴の馬が健闘して先頭を走行した。速度が落ちる小耳がなく、グングンと二頭目以下を引き離す大穴のうな重。

 

 このままだと、自身の単勝一点買いが外れて大損をこくと見込んだアレンさんどーは、矢を放って、その大穴の馬を射殺した。その結果、二番目を走行していたアレクサンダーは一着でゴールインした。

 

 当然、観覧席からの妨害行為で審議が行われたが、横審は何コモド鳴くアレクサンダーの一着を承認した。

 

 異議を唱えてブーブー文句を言っていた観覧席のギャンブル中毒者に向かい、アレクサンダー大王は一斉射撃を明治、3000人が殺された。この悲劇を、府中の悲劇と呼ぶ。